部屋の窓際

好きなものについて描いたり書いたり。

日記を数冊

今日は特に何もなかった。

という一文を、宿題の日記に連続で書いて怒られた思い出。

 

 

例のごとく日常が上期終盤でぐったり気味なので、本を拾い読み。

こういうときはパラパラと流せるものを。

 

 

 

 

池波正太郎の銀座日記(全) 池波正太郎新潮文庫

ちょっとした仕事の進捗状況や作家ならではの交流。

何を食べた何を観た何を読んだ聴いた買った、という日常のざっくりした記録や雑感。実に日記らしい(日記だし)内容。

 

ただし銀座というのがポイントか。

 

著者本人はむやみに浪費しているわけでは無いし、それをひけらかせているわけでも無いけど、読み手にとっては(少なくとも私にとっては)華麗なる消費記録にもなる。

すでに何人もの人が指摘していると思うけど、これがイメージ化された状態がブログなどになるのだなあ、と寝転びながらようやく気付く。

 

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消費日記の代名詞と言えばこの人かな、と思いつくのが植草甚一

 

植草甚一コラージュ日記<1>東京1976」平凡社

植草甚一コラージュ日記<2>東京1974」平凡社

植草甚一日記(植草甚一スクラップ・ブック39)」晶文社

 

コラージュ日記、特にニューヨークはひたすらコレ買ったアレ買った…何冊買った、何十冊買ったが繰り返される。ジンベエザメな吸引力で、時に紙クズとすら形容される本また本を呑み込み続ける。コーヒーとケーキも。

アクセサリー類や雑貨の物色も熱心で、買い物しない日は皆無では。

独特の字体と貼り付けられた切り抜きも相まって、狂騒的祝祭買物空間。

 

本好きとしてはもう少し具体的な書名を書いておいて欲しいところだが、量が量だけに無理か。ひょいと気に入る雑貨といい、そういう時こそ画像アップですよ!と言いたくなるぐらいインスタ向きなタイプだと思う。

今だったら間違いなくインスタグラマー。

 

植草甚一日記は少し毛色が違うけど(戦中もあるので)、ここでも消費活動は旺盛。

 

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改めて驚くのが、植草甚一が明治生まれで池波正太郎が大正生まれ。

私の勝手なイメージは、ハイカラボーイとモダンジェントルマン。