部屋の窓際

好きなものについて描いたり書いたり。

2月3日 福は内だけ言っておく


土曜日。快晴。車内は暖かい。
一週間ぶりにブログ弄ったら仕様変更で戸惑う。
現状維持は緩やかな後退である、などとどこかで聞いた話を思い出す。
正直、PCがメインの私には使い勝手にやや違和感を覚える。


年明けから珍しく連続で日記らしい日記を書いていた。
日々の記録に好きなモノについての戯言を混ぜ込めれば自身としては満足だったのだが、仕事が激増するにつれただの仕事愚痴日記になりかかってしまって休む。
2月1日に「遂に笑い男がー」といったブログにするつもりだったのに本末転倒である。
無念。あの2月1日はもう訪れないのに。


朝。コンビニのサンドイッチ。ヨーグルト。カフェラテ。
昼。残ってたうどんでアーリオ・オーリオ風。ほうれん草もニンニクで炒める。ビール。
夜。スーパーの恵方巻。メザシ。しらたきと長ネギの明太子炒め。かぶ、人参、厚揚げの煮物。なめこと豆腐の味噌汁。日本酒少々。

節分らしいのはメザシくらいか。ふっくらして美味しい。
恵方巻は輪切りにして海苔巻きとして食す。喉に詰まったらシャレにならない。

食後、豆まきもせず甘納豆。
身の内に棲む鬼は飼い慣らすしかない、という中二病設定続行中。





笑い男デーが過ぎ去ってしまった(まだ絶賛期間中だが)。

以前、あまりSFには興味のない人が、多種多様な映像作品を『サイバーパンク』の一言で括っているのを聞いて、まあそう思っちゃうかもねと胸の内で上から目線だった時があった。
しかし、現在ではまさにその括りが浸透しており、なんなら『レトロフューチャー』という巨大な括りのサブジャンルになっている。

馴染みのある巨大な括りといえば『サイボーグ』。

ちびっ子の頃のおぼろげなイメージは、正義のヒーロー。
最初に触れたのはたぶん、サイボーグ009だったと思う。
仮面ライダー系の『改造人間』と『サイボーグ』という言葉を別物として受け取っていたようにも思う。改造人間はちょっとおどろおどろしい感じ。サイボーグはメタリックな感じ。

その後、多感な10代(ギリギリだが)で「アップルシード」や「攻殻機動隊」を知ったため、改めて『サイボーグ』という強固なイメージを植えつけたのは少佐(草薙素子)。そしてブリアレオス。
それまでのサイボーグ物(例えば009)が夢物語と感じるほどに、士郎正宗ワールドは大人びていてリアルに思えた。

今思えば、どちらも現実にアプローチしていると思う。
片方は、政治的で諧謔や嘲笑や諦観を混ぜ込んだような、バランスで成り立つしかない世界。
片方は、苦悩や葛藤や諦観を抱え込んで、平和という理想を追い求める世界。
乱暴に括るととこんな感じか。

もう一つの括り方をすると。
片方は、生身というワードにあまり重きを置かない。そして、人間の定義をグルグル回っている。
片方は、生身や肉体という観念への執着が重要。そして、人類への眼差しは『生態系の一つ』でしかない。
神から逃れようとする哲学と、観察から派生した神学と言ってしまうとあやふや過ぎるか。

絶対の正義と悪の存在を否定する世界と、絶対は無くとも得体の知れない正義と悪が生じ続ける世界と。どちらがリアルでどちらが夢物語か、とは現在の私には判断し難い。


 

 


ページ一枚一枚にぎゅうぎゅうに詰め込まれたこの世界が好きだったので、この世界観(紙面も含めて)の続編が望めないことが少し寂しい。
電子版は歓迎だったんだが、恒例の注釈を読みたい人にはちょっとキツイ。




めんどくさい思いつきをだらだら書いたが、『サイボーグ』という造形的に一番心に突き刺さったのはスター・トレックのボーグ。