部屋の窓際

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10月23日 映像メモ「ホドロフスキーのDUNE」

 

日曜日。早朝、一面の霧。晴天。

掃除と洗濯で動くだけで汗ばむ。昼ビール決定。

 

朝。ハムサンドとコーヒー。ヨーグルトにブルーベリージャム。

 

昼。奮発して寿司の予定だったが、テイクアウトを頼んでいた店の質が落ちているという情報と実感のため、大人しくパスタを茹でる。

しらすジェノベーゼソース、ガーリックたっぷり。サラミとチーズ。

ビールと赤ワイン。

 

夜。日中いろいろ食べ過ぎたので、軽めに。白米と味噌汁と納豆。

 

 

 

 

昼食後、だらだらと間食しつつ映像鑑賞。

 

 

ホドロフスキーのDUNE」

監督:フランク・パヴィッチ。

 

映画監督ホドロフスキーと周囲の人々の証言と資料を使って、幻で終わってしまった「ホドロフスキーのDUNE」を違う形で再生させたドキュメンタリー。

当時のデザイン画や絵コンテも提示。とにかく、やたら面白い。

 

原作小説に感激し、誰よりも熱心に素早く着実に行動を起こしたのに、壮大過ぎたがゆえに横から権利をかっさらわれて制作中止に追い込まれてしまった映画人たちの物語。

映画人たち、というよりも、熱狂の人と彼の磁力に惹き寄せられたクリエイターたち、か。

 

一言でまとめれば、幻のメイキング。

あのとんでもないレベルの絵コンテの存在を知ると、ある種の創世記とも思える。

 

 

原作に惚れ込んでDUNE制作に驀進するホドロフスキーはパワフル。

当人も言っているが、あのネットの無い時代に、自分の理想とする映像やカメラワーク、デザイン、美術、音楽を見つけ出すことはとても困難だと思う。

それらを探し求め説き伏せていく姿はまるでRPG

途中、ハリウッド的権威?(ビジネス的権威?)に啖呵切ったり、制作に突き進む姿がカッコイイ。

情熱的な発想力、行動力、その他諸々ひっくるめて、ホドロフスキーにとって全ては「創造=生きる」なんだろうなあと、凡人は解釈。

 

制作陣として加わっていく名前がメビウス、ギーガー、フォスって、すっげー!どう転んでも確実にカルト映画!と、情熱と才能に痺れたり。

キャスティングとして挙げられる名前が、ダリやオーソン・ウェルズミック・ジャガーって、ええ!?本気?と、山師的な雰囲気に惹かれたり。

 

正直、完成品を観たかったか?と問われれば、私にとっては、むしろ幻だったからこそ良かったような気もする。

デザインの色使いなどを見ていると、サイケだ…とも感じるので。

 

そういえば。

ホドロフスキーにとってDUNEに熱狂する要因の一つがスパイス→ドラッグ。

いわゆるドラッグ・カルチャーの観点も欠かせないのだろうなあ、と推測。

 

 

つまりは挫折の物語なんだけど、観賞後は爽快な気分。

青春、というほど青臭くはないけど、自分たちはこう生きて見せたぞ!と全てを肯定するホドロフスキーの姿が眩しい。

悲しさも悔しさも隠さないで、でもイエス!って素直に凄い。

 

 

「リンチは天才だけど、映画は失敗だ!」と大喜びしちゃったホドロフスキーですが、私はデイヴィッド・リンチ版のデューンも好きなんだよなあ。

二人とも上演時間の制限に苦しめられてる辺り、あの大作を一本にまとめようとすることの無謀さが分かります。

 

ホドロフスキーのハルコネン家はギーガーって知ると、デイヴィッド・リンチのハルコネン家はベーコンかな、と当て嵌めたり。【叫ぶ教皇】的な。

 

映画に詳しいわけではないので、WOWOWでやってなければ出会わなかった作品でした。DUNEも好きだし、特典映像にも興味があるので円盤をポチってしまった。

 

 

**

 

 

夜中にやっていた「フラッシュ・ゴードン」も録画はしておいたものの、今日は観ない方がいいな、と直感的に思う。

 

 

まだ全部を読み切っていないギレルモ・デル・トロの本を引っ張り出してパラ見しつつ、このままラクガキして就寝予定。

 

ギレルモ・デル・トロ 創作ノート 驚異の部屋」DU BOOKS