部屋の窓際

好きなものについて描いたり書いたり。

3月17日 花ある生活


金曜日。いわゆるハナキン。
花やぐ金曜日なのか、華やかな金曜日なのか。
どちらにせよ、花でも見てないとやってらんない。
夕方から一気に曇り、夜には雨。


社窓から眺める夕方の空。
風も強くなり始め、なかなかに寒々しい。
月曜日の夕方も曇天だった。
あの時は、寒々しいとは少し違うモノクロな空模様。ツインピークスな世界。
車を走らせているうちに、少しオレンジ色が入ってきたと思ったら雲が分厚く黒々として今度は八つ墓村な世界になってた。八つ墓村にこんな空模様あったかは覚えてないのだが。


朝。いつものヨーグルト道。
昼。チキンカレー。サラダ。スープ。
夜。ラーメンと餃子。





「『パサージュ論』熟読玩味」も佳境。
モードや売春、眠る巨人のあたりでハッとなることが多々あるのだが、思考はうまくまとまらずあちらこちらに流れる。
特に、最近になって視聴した「ファッションが教えてくれること」の記憶のせいか『モード、再生の未来』の章が頭にスッと入った、ような気になる。
過去を振り返る、未来しか見ていない、芸術性、市場価値、などなど映像から得られる分かり易いキーワードを、もう少し詰めて分解する(裏読みかもしれないが)手順書のような。

ベンヤミンの指摘する「最新のものが、すでにあったものを媒介として出来上がる」というモードの本質は、すでに、何度も取り上げている、新しいテクノロジーとアルカイックな象徴との照応関係と基本的に同じである。   p92-93

 

生き馬の目を抜くような業界の強者たちによるお仕事映像、だけではない詩情も感じるのはこれらの要素が散らばっているせいか?
「熟読玩味」に出てくるキーワード【時間隧道的な側面】もちょいちょい刺激する。
新しいままに過去を手繰り寄せる(寄せるじゃなく、進入か?)。
常に新しいものを視野に入れている、という人物たちの10年以上前の映像。
映像が過去のものにあるのは当たり前なんだけど、なんというかこうメタ的な面白さを感じるのは、この本が入り組んだ街路を歩いている気分にさせるからだろうか。