部屋の窓際

好きなものについて描いたり書いたり。

3月16日 今年も雉が来た

 
木曜日。まあまあ晴れ。花粉は精力的に活動中。
とにかく年度末。毎年繰り返される年度末。
週始めのスケジュールが二日でコロコロ変わるのはご愛嬌。
給料アップとか別世界通信。今はファンタジーを読む体力も無い。


ぐったりしている休憩中。
後輩から花粉症デマ説が流布していることを教えてもらう。
腹立たしいよりも馬鹿馬鹿しいこと、このうえなし。
鼻の穴に花粉団子でも詰め込んでやれとも思うが。
ただ、何が怖いってこの説を信じ込むような人間は、他人のアレルギーを理解も出来ず、無神経な押しつけ或いは強要をし、下手をすればキズどころでは無いものを負わせかねない。
…単純に、この鼻のヒリヒリ具合が怒りに変わるな。


朝。バナナ、ココア系グラノーラ、ヨーグルトに蜂蜜。いつものヨーグルト道。
昼。豚丼。豚汁。野菜サラダ。
残業合間にカロリーメイト
夜。白米に納豆、めかぶ、しらすを盛る。キャベツの味噌汁。

夕食後にお灸。お茶と最中。





「『パサージュ論』熟読玩味」を読書中。
モンタージュ、が重要。顔写真のそれでなく、また二次元的な意味でなく。
【集団の夢】と【個人の覚醒】というキーワード。
【蒐集家】という心惹かれるパワーワード
サブカルチャー史の番組を連想する。あらゆるものをかき集めて、並べ、分類する。
「新たなもの」を「再認識」する、という解読から「集団の夢」からの「弁証法的覚醒」が起きる瞬間への説明を読むと、ハッとなる。残念ながら、〈一瞬の覚醒から火花を放って全てを照らすような知覚〉は持ちあわせていないので、ほんの一瞬だけ理解出来たような感触に過ぎないが。
60−70年代の音楽を耳にする時、存在しないノスタルジーを感じるのはつまりそういうことなのか?などと性急に思う。