部屋の窓際

好きなものについて描いたり書いたり。

11月9日 月食の残像

 

水曜日。晴れ。日中暖か。

「もう」と「まだ」が入り混じったような週の真ん中。

 

 

久々に大きい地震、という感覚は無い。

わりと頻繁に、そこそこな揺れ、あるいは音(地響き)を伴う地震が繰り返しているという認識。

いつものことか、という慣れではなく、いつか来る、という諦め。

諦め、というと語弊があるか。諦めを伴った覚悟。

 

思えば、子供の頃から『富士山はそのうち噴火する』とか『関東は再び大地震の可能性がある』と繰り返し聞かされてきた。トンデモ本的な文脈と科学的データが入り混じってしまったような無茶苦茶さもあったけど。

同じように目に触れていたノストラダムスの大予言は、2000年を迎えてお約束通りにオチがついたが、地震や噴火は残念ながらいつかは起こるだろう。

 

東日本大震災の時。

数日後の、青空と夕焼けを見て、月並みだけど綺麗だと思った。世界は美しい。

散乱した職場の後片付けを終えた帰宅時の車内で、冗談のようにルイ・アームストロングの歌が流れ腹立たしくも涙腺が緩んだ。

 

 

きっと何があっても世界は美しいのだろう。

世界は美しいけれど、どこかで既にジョン・ポールが虐殺の文法を様々に変異させてばら撒いているんじゃないのか?と思うのは、ウンザリするようなニュースの蓄積に対するささやかな逃避かもしれない。