部屋の窓際

好きなものについて描いたり書いたり。

4月17日 生チョコとゴシック


月曜日。まあまあな晴れ。空気は涼しい。
雨天のあとの葉の緑が鮮やか。
緑を見ると視力に良い、という伝承が発生するのも分かる気がする。


朝。フルーツ多めのヨーグルト道。バナナとキウイとリンゴ二種。
昼。おにぎり2つ。シャケと梅干。揚げナス味噌汁。
夜。白米。豆腐と長ネギの味噌汁。アジの開き。小松菜とカニカマの和物。納豆。


せっかくさっぱり系の夕飯にしたのに、食後にコンビニスイーツを食す。
こってり生チョコ。美味しいが胃がもたれる。
何度も繰り返される、頭が欲して胃が敗退するパターン。





本棚移動をした「放浪者メルモス」「マンク」の背表紙を眺める。
この狂おしい荒唐無稽さは、全能なるものへの抗いからくるのだろうか。
しかし両作品とも、背教者という反逆者よりも狂信者の群れこそが熱病を形成する要素の一つに思える。異端審問所や尼僧院長たちのおぞましさ。
目を背けたいが、一度踏み入ったら読み切らないと落ち着かない。


こういうゴシックスリラーで舞台が本朝のものは?と、ぼんやり考える。
江戸期の合巻本…は、価値観が違いすぎるせいか妙にカラッとした感じ(あくまで私感)。
山田風太郎の伝奇もの、と思ったが狂おしさより虚無感がまさってる気がする。
そもそも、日本を舞台にして熱病的ゴシック味(?)を感じるのは、信教の暴走や弾圧よりも、閉じた環境での軋轢の方がしっくり来ることに思い至り、それってつまり、横溝正史的空間を市川崑的明暗(70年代の)で照らしている世界では?と閃く就寝前。


生チョコとコーヒーがまだ胃で残存してる気配。


 

 


手元にあるのはこちらだが、メルモスもマンクも、図書館で借りまくっていた世界幻想文学体系の装いの方が好み。