水曜日。まさに梅雨空。涼しいのが救い。
体がバテ始めると同時に、運動したくなる季節。
朝。いつものヨーグルト道。
昼。おにぎり2つ。昆布と梅。オクラともずく酢。麦茶。
夜。ナスと茗荷の甘酢ダレの素麺。納豆とジャコのせ冷奴。豚生姜焼き。
食後、ほうじ茶と最中。
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ちょうど一週間前はクリストファー・リーの命日だった。
タニス・リーの次にクリストファー・リーの訃報を知って驚いた記憶。
驚いたといえば、周囲の人間でドラキュラ伯爵を知っている人が一人もいなかったという現実が衝撃だった(ただ一人、読書の趣味がおそろしく合う友人のみと衝撃を共有)。
『ドラキュラ伯爵といえばクリストファー・リー、クリストファー・リーといえばドラキュラ伯爵』というのが世界の法則みたいなものだと思っていた。若い世代はともかく、同年代には通じる法則だと思っていたので「誰それ?」という反応は衝撃が大きかった。
常識だと思い込んでいるものはローカル・ルールに過ぎないことが多い、ということを再認識した思い出の一つ。
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真夜中の鐘。蝙蝠の羽音。夜会服のベラ・ルゴシ。
単純と言われようとも、マニアに鼻で笑われようとも、美しいのはベラ・ルゴシ。
と、以前サイトでも書いたことあるが、ベラ・ルゴシは大人になってから知った存在。
それまでは、『ドラキュラ伯爵といえばクリストファー・リー(以下略)』。
そして幼い頃に最も怖れた存在が、吸血鬼…というよりドラキュラ伯爵。
サンタクロースの存在をただの一度も信じず、毎年練習して上演したキリスト誕生劇を何一つ理解していなかったカトリック系幼稚園児(家は紛うことなく仏教徒)は、何故かドラキュラ伯爵の存在だけは激しく信じ込み、ニンニクを吊すと駄々をこねて母親を悩ませた微笑ましい思い出。
おぼろげながら夏の夜の記憶があるので、おそらく低学年向け雑誌の怪談特集などを読んだと思う。夢中で。
みんな大好き大百科系のオカルト関連は間違いなく読んでる。
恐怖とともに相当に心惹かれていたらしく、小学低学年くらいまでは何度も夢に。
おおよそ映画などで流布したイメージ通りのものだったと思うのだけど、ちょっと特異だった時もあり、その夢の一場面だけは今もぼんやりと覚えている。
それは、さんざん怯えた牙に血を滴らせるクリストファー・リーのドラキュラ伯爵の姿ではなく、薄桃色に彩色された多賀新の世界のような断片的な映像であり、荒俣宏氏が絶賛する<解剖学の天使>の世界のようでもあり…と、はっきりと思い出せないからこそ、ずいぶんとグロテスクでエロティックな不思議な映像だったと今も思う。
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「日本昭和トンデモ児童書大全」タツミムック
幼少の思い出に浸ったついでに、本棚から引っ張り出す。
おそらく、ここに紹介されている『吸血鬼百科』『ドラキュラ大図鑑』とか『怪奇大全科』あたりが私に恐怖を植え付けた元凶、もとい恩人。
ざっと見たところ、『吸血鬼大百科』『ドラキュラ大図鑑』が今見てもなかなか濃い内容。ヴラド・ツェペシュやエリザベート・バートリーの他に近代シリアル・キラーまで網羅。
シブサワ&タネムラのジュニア版といった趣すら感じる。
しかも挿絵を、石原豪人や柳柊二が担当しているのでやたらエロティックで恐い。
たぶん、夜は一人でトイレに行けなかったと思う。記憶から抹消してるけど。
『怪奇大全科』は怪奇映画の網羅だったらしい。ヘビ男、ヘビ女とか今見ても嫌だ。
これは間違いなく一人で寝れなくなったと思う。記憶から抹消してるけど。
それにしても。
吸血鬼に限らず、どのジャンルも恐ろしげである。
ジャンルも何も、ほぼ怪奇ものだが。
『飢餓食』や『ミイラ』というお題で一冊作ってしまうのが凄い。『宇宙』が題材でも、なぜかSFロマンにはほど遠いドロッとしたオカルティズムを感じる。
妖怪系や幽霊系でちらほらと記憶に触れるもの多数。
『怪奇城大図鑑』にシブサワの系譜を感じる。
ちなみに、このタイプの本を母は絶対買ってくれなかった。
親戚の本棚を勝手に読みあさった夏の思い出。
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伯爵から遠のいてしまった。
映画は大人になってから観た。
マニアの一押しでは無いかもしれないけれど、私にとっては伯爵といえばコチラ。
一種の様式美の完成だと思う。