部屋の窓際

好きなものについて描いたり書いたり。

10月28日 読書メモ「いずれすべては海の中に」


土曜日。晴れたと思ったら雷。土砂降り、その後小雨。
午後から陽がさし始め、晴天。
空気がかなり冷えてきた。

鼻が痒いわ、鼻水出るわ、鼻かみすぎて痛いわ、痒いわ(以下エンドレス)。
野に蔓延る黄色い悪魔による鼻炎なのか、寒暖差による鼻炎なのか。


朝。チーズトースト。コーヒー。バナナとヨーグルト。
昼。五目寿司。鯛とサーモンの刺身。ほうれん草胡麻和え。蓮根と油揚げのきんぴら風。
夜。白米。余り野菜と豚肉で塩系鍋。こんにゃく田楽。ビール。

間食に人形焼、かりんとう




 


「いずれすべては海の中に サラ・ピンスカー/市田泉訳」竹書房文庫


短篇集。掌篇、短篇、中篇の混じった感じ。
全体に感じるのは、今この世界(現実)で直面するであろう人間生活の断片を、今ここからずれた世界(僅かだったり大幅だったり)で描いていること。
SF私小説と評している人がいて、なるほど、と思った。

それぞれが事態の解決(オトシマエ、とも)を求めていないためか、水彩スケッチ群な印象を抱く。いずれすべては水の中であわあわと溶けてしまう、という予兆。

『一筋に伸びる二車線のハイウェイ』
『そしてわれらは暗闇の中』
『記憶が戻る日』
『いずれすべては海の中に』
『彼女の低いハム音』
『死者との対話』
『時間流民のためのシュウェル・ホーム』
『深淵をあとに歓喜して』
『孤独な船乗りはだれ一人』
『風はさまよう』
『オープン・ロードの聖母様』
『イッカク』
『そして(Nマイナス1)人しかいなくなった』

特に印象に残ったのは、『いずれすべては海の中に』『風はさまよう』『オープン・ロードの聖母様』『そして(Nマイナス1)人しかいなくなった』。

『いずれ〜』は、ノアの方舟の変奏のようでもある終末の世界。疲れ切った諦観と「渚にて」のような静謐感すら感じるが、根底に不敵な視線を感じる。

『風は〜』は、世代間宇宙船という一つの新しい世界で生成されていく歴史の検証。音楽を通して新たに起こりつつある出来事と過去の出来事を検証していく様は、社会派サスペンスのようでもある。主人公の視点で眺める世界は暗い読後感では無いのだが、閉ざされた空間の時系列を併走して眺めていた自分には、歴史否定と歴史偏重双方の危うさが棘のように残った。

『そして〜』は、パラレルワールドものか。一人パラレルというか。推理もののパロディのようでいて、「なったかもしれない自分」「なれたかもしれない自分」への切望と、今の自分への折り合いも感じる。

『オープン・ロードの聖母様』は、長篇「新しい時代への歌」の続編ともいえる時系列らしいのだがそちらは未読。しかし、世界観はすんなり入る。近未来というか、もはや片足踏み込んでいる世界。ライブの禁止という大きな壁に疲弊しつつも中指立てる主人公たちはカッコイイ。暴徒、という表出は論外だが「怒り」という感情そのものを喪失するのは恐ろしい。

ほかにも、ブラッドベリ的な童話を感じる『彼女の低いハム音』、結末をゾクゾクしながら読み、そのゾクゾク感こそを糾弾される『死者との対話』が好み。


改めて装丁眺めると、このイラストはとても良く世界観を表していると思う。
プラスな感情だけでは無いのだが、最終的には何かに包まれる感じ。